何故そんなにそれに価値を感じていたのか
後で考えると、何故そんなにそれに価値を感じていたのか分からないって事がある。
リアルタイムでも良く分からない事もある。
少し前に話題になった村上隆のフィギュアが16億円とか。
当時、結構叩かれてたけど、16億と言う価格をつけた人がいたのは事実。
でも、そのような「一部の人が価値を感じる」事ではなく、かなりの数の集団が共同で価値を感じたけど、後でその価値が通じなくなると言う事もある。
戦国時代に高価な茶器一つで一国が買えたとか、17世紀にオランダで起きたチューリップ・バブルも有名な話だと思う。
ピーク時は高価な球根一個で家一軒買えたとか。
これらはモノに異常な価値がついた例だけど、モノだけでなく、ステータスでも同じ事がある。
最近読んだ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と言う本。
ノン・フィクションの作品で、面白かったが、木村の人生以外で印象に残った部分は…
戦前の異様な武道ブーム
■学校の人材確保にかける熱意
木村は柔道の才能を見込まれ、早稲田や慶応など日本中の大学から授業料・入学金免除で誘われたとの事。
結局、1935年に拓殖大学の柔道師範・牛島辰熊が寝食の面倒、小遣いも与える条件で引き取った。
牛島は同時に何人か同じように有望な若者を引き取っている。
今もスポーツ推薦と言うものはあるので、何となくサラッと流してしまいそうになるのだが、よく考えると不思議に感じた。
何故なら、当時、柔道はオリンピック種目でなかった。
スポーツとして団体やルールも統一されていなかった。
だから、何のためにそこまでして人を集めたのかと言うと、あくまで日本国内での大会で好成績を目指すと言う事になるが、それにそんなに現代的な感覚で言う価値があったのだろうか?
要するに宣伝効果だとか、ヤラシイ言い方すれば損得の問題が。
進学率だって低いだろうし、TVも無い時代。
■選手の熱意
また、選手達の勝負にかける必死さも不思議。
木村は一日10時間以上の練習を積み、師匠・牛島辰熊との稽古等は殺し合いに近い。
「負けたら腹を切る」と決めて切腹の練習をする部分なんかは狂気を感じさせる。
切腹の部分等、"熱さ"を感じて感動する読者もいるのだろうし、著者も至って真面目なトーンで書いているのだが…
正直、滑稽にすら思えた。
この狂気とも言える必死さが当時においても際立っていたからこそ、圧倒的な結果も残したのだろうが、木村・牛島だけが特別異常だった訳でなく、ライバル達、柔道界全体の熱さもビシビシ伝わってきた。
競技人口も戦後と比べて圧倒的に多かったようだ。
結局、そう言ったブームとも言える熱は、太平洋戦争の敗戦、GHQによる禁圧等で冷めてしまう訳だが…
一体、あの異様な熱量は何だったんだ?
どこからやって来たのか?
とにかく、当時はそれがステータスだった。
とても価値があった。
皆がその価値を信じていた。
集団心理、共同幻想、そんな言葉が思い浮かぶ。
さて、当ブログのテーマに話を持って行くと…
と言う事です。
最近聞いたニュースで、受験に失敗した親子が心中したとか言うのがあった。
木村の切腹の話に通じる。
要するに、その親子にとっては受験(学歴)にそれほどの価値があったのだろう。
死んでいるので悲劇であり、笑えないのだが、正直、滑稽だと感じる気持ちも禁じ得ない。
まー、この様に熱くなっちゃうのが人間の習性なのかもしれないけど…
何れも近日発売予定スタンプです。
乞うご期待!